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山口蓬春(やまぐちほうしゅん)

山口蓬春は、1893年(明治26年)10月15日に北海道松前郡松城町(現・松前町)で生まれた日本画家である。2013年(平成25年)でちょうど生誕120周年を迎える。

中学校在学中より絵画に興味を持ち、当初は洋画を志していたため白馬会絵画研究所に通いながら基礎を学ぶ。東京美術大学(現・東京藝術大学)西洋画科に入学し油彩画「漁村の一部」が第3回二科展で初入選、第4回二科展でも「庭園初夏」が入選するという快挙を成し遂げる。しかし諸々の理由が重なり突然洋画科を退学し日本画科へ転科、松岡映丘に師事し大和絵を習得すると首席で卒業する。卒業制作の「洛南之巻六題」のうち「晩秋(深草)」と「雨霽(伏見)」が学校買上となる。

卒業後は松岡映丘が指導者を務める新興大和絵会に同人として参加、31歳から雅号「蓬春」を名乗り第5回帝展で「秋二題」が初入選、第6回帝展では「神苑春雨」が入選し皇后買上、第7回帝展では「三熊野の那智の御山」が特選となり第2回帝国美術院賞も受賞、皇室買上となるなど有力作家として活躍する。帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)が創立された際には教授職に就くなど画壇での地位を確立していたが、新しい日本画のあり方を模索すべく同じく日本画家の福田平八郎、中村岳陵、洋画家の木村荘八、牧野虎雄、中川紀元、美術評論家の外狩素心庵・横川毅一郎とともに「六潮会」を結成しそれ以外の「拘束性のある団体からは全て脱退」すると宣言。権威によりかからない活動を始める。

新たな日本画表現を追求する姿勢は戦後ますます明確となり、元より洋画専攻であったためブラックやマティスなどフランス近代絵画のモダニズムを取り入れた作風を確立させた。日展を中心に活躍し、戦後の代表作「夏の印象」「枇杷」「紫陽花」「春」「夏」「秋」「冬」などを描き上げた。1965年(昭和40年)には文化勲章を受章、また晩年には皇居宮殿正殿松の間杉戸「楓」を手掛けている。

1971年(昭和46年)5月31日、胃癌のため死去。77歳であった。同日、叙三位に叙せられ、銀杯四号を授与される。死後、遺作の管理をしていた春子夫人により作品や遺品の多くは神奈川県立近代美術館及び財団法人JR東海生涯学習財団(現・公益財団法人JR東海生涯学習財団)に寄付され、同時に寄贈された葉山の住居兼アトリエ(設計建築・吉田五十六)が1991年(平成3年)10月5日に山口蓬春記念館として開館した。

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