荻須高徳は、大正~昭和期の洋画家である。1901年(明治34年)11月30日、愛知県中島郡井長谷村(現・稲沢市井堀高見町)にて生まれる。東京美術大学(現・東京藝術大学)卒業後まもなくフランスへ渡り、その後第二次世界大戦によりやむなく一時帰国した8年間を除き人生のほとんどをパリで過ごした。戦後初めてフランス入国を許された日本人画家でもある。
生涯の住処と決めたパリ、明るい日差しを求めて度々訪れたベネツィアを中心にヨーロッパの街並みを描き続けた。そこに暮らす人々の日常生活が感じられる街角や細い運河、たくさんポスターが貼られた壁、歴史の重みを伝える苔むした建物などを特に好み、穏やかに身近な風景を描き上げた作品達は現地に住むフランス人達にも受け入れられ、当時のパリ市長で後にフランス大統領となるシラク氏より「最もフランス的な日本人」と評されるほど広く愛された。
1981年(昭和56年)、日本にて文化功労者に選定される。この際の一時帰国が彼の生涯において日本の地を踏む最後となった。1986年(昭和61年)10月14日、パリのアトリエにて死去。84歳で没するまで生涯現役を貫いた。同年、文化勲章を受章。