福王寺一彦は、1955年(昭和30年)4月3日に東京都三鷹市で生まれた日本画家である。
小学校卒業と同時に、父であり代表連作「ヒマラヤシリーズ」で広く知られる福王寺法林に師事。1974年(昭和49年)に高校を卒業、父法林のネパール・ヒマラヤ取材に同行しながら感性と腕を磨いた。ネパール地方の穏やかな山里の風景や、そこで暮らす人々の佇まいを繊細な筆致と濃密ながらも透明感のある色使いでで描き上げる独自の画風は、高い写実性の中にも幻想的な印象を強く感じさせるものである。1978年(昭和53年)に第63回院展にて「追母影」が初入選。以降「追母影」シリーズを描き続け、1980年(昭和55年)の第65回院展に「追母影 三」を出品し院友に推挙、1985年(昭和60年)の第70回院展への出品作「追母影 十一 星華」で奨励賞を受賞。翌年の第41回春の院展で「トスカーナ」、第71回院展「ファラフィン」と三作続けて奨励賞を受賞し、1988年(昭和63年)の第72回院展での「ファラフィン遠雷」、翌年第73回院展での「月、出ずる頃」にて二度の日本美術院賞・大観賞を受賞する。
その後も「ウムブリア」「ドルガ」「口笛月華マハバーラト」「農耕の民」「月下洗菜」で院展(春を含む)奨励賞を受賞、その中でも「農耕の民」は平成3年度文化庁買上優秀美術作品に選考され、1992年(平成4年)には日本美術院奨学金、前田青邨賞に選考されるとともに日本美術院同人に推挙される。院展を中心とし精力的に作品を描き続け、1996年(平成8年)の第81回院展にて「蛍 二」が文部大臣賞を受賞、1998年(平成10年)には第83回院展への出品作「月の輝く夜に」で内閣総理大臣賞受賞、2001年(平成13年)の第85回院展にて「月の輝く夜に 三」が第57回日本芸術院賞を受賞(日本画部門では史上最年少)。現在、日本美術家連盟常任理事、日本美術著作権連合理事長、日本芸術院会員なども務め、現代日本画界の牽引役として活躍中である。