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鏑木清方(かぶらききよかた)

鏑木清方は、1878(明治11)831日に東京・神田で生まれた浮世絵・日本画・挿絵画家である。本名は健一。父は條野採菊といい、「東京日日新聞」(現・毎日新聞)の創始者の一人であり戯作や劇評なども手掛けた文人である。そのため幼少の頃から文芸に親しみ、中でも芝居を好んで役者の所作や衣装の美しさに心惹かれながら育った。

父を含む周囲の勧めによって14歳で日本画家・浮世絵師の水野年方に師事し、「清方」の雅号を授けられてからは父の経営する「やまと新聞」で挿絵を描き始める。1897(明治30)には「東北新聞」の挿絵を担当し独立。また、師・年方が展覧会に出品する作品を制作していることから影響を受けて大作も描くようになり、美人画、風俗画家としての活動も始める。

1901(明治34)には泉鏡花の著書「三枚續」の口絵と装幀を依頼され、以降泉鏡花と親交を深める。同年には仲間の画家らと「烏合会」を結成し本格的な肉筆画の制作に取り組み始める。特に文学から題材を選ぶことを好み、1902(明治35)に代表作の一つ「一葉女史の墓」を第5回烏合会展に出品。1903(明治36)には当時の文芸界を代表する雑誌「文藝倶楽部」の口絵を手がけるようになり、挿絵画家として確固たる地位を築くが、1915(大正4)には第9回文展で「()れゆく村雨」が最高賞を受賞し、翌年には松岡映丘らと「金鈴社」を結成、1919(大正8)の第1回帝展では審査員を務め、1927(昭和2)の第8回帝展にて「築地明石町」が帝国美術院賞を受賞するなど、肉筆画の制作に重きをおくようになりその実力が広く知れ渡った。特に代表的な題材である美人画は繊細な筆致と澄んだ色使いにより日本女性の清らかで優美な姿を描き出している。また挿絵から始めたということもあり、粋な江戸情緒の残る人々の暮らしなども描いている。

長年の功績により帝国芸術院会員、帝室技芸員、日展審査員を歴任し1954(昭和29)には文化勲章を受章。1972(昭和47)、鎌倉にて逝去。93歳であった。

没後、住処のあった鎌倉市へ遺族から作品や資料、土地家屋の寄贈を受け平成10年に鎌倉市清方記念美術館が開館。1930(昭和5)に第11回帝展へ出品した「三遊亭圓朝像」が2003(平成15)に重要文化財指定を受けている。