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竹久夢二(たけひさゆめじ)

竹久夢二は、1884年(明治17年)9月16日に岡山県邑久郡本庄村大字本庄119番邸(現:岡山県瀬戸内市邑久町本庄)で生まれた詩画人である。本名は茂次郎(もじろう)。17歳で単身上京し早稲田実業学校へ入学すると同時に独学で絵を修得、コマ絵を新聞や雑誌に投稿する。1905年(明治38年)、友人の推薦で平民社発行の『直言』に初めてコマ絵が掲載されたのを皮切りに幾度か絵が掲載され、月刊誌『中学世界』に応募したコマ絵「筒井筒」が一等入選した事で画号「夢二」を名乗り、早稲田実業学校専攻科を中退し画家として本格的に活動を始める。

夢二と言えば「夢二式美人画」と呼ばれる女性画で特に知られており、「黒船屋」に代表される愁いを含んだ表情の女性画は特に若い子女の間で絶大な人気を得た。そのセンチメンタルで独創的な画風は主に日本画の手法を用いて描かれたが、時に洋画の手法で女性画や風景画なども描いた。また児童向け雑誌や詩の挿絵、書籍の装幀、広告宣伝物、日用品のデザインなども手掛け日本におけるグラフィックデザインの先駆者と言える。夢二のデザインは身近なものをモチーフとして大胆な柄使いと独特の色合いが現在でも好まれている。文筆業においても詩や歌謡、童話などを手掛け、大衆歌として大流行となった「宵待草」など恋多き波乱の生涯を反映させた作品を生み出した。「漂泊の抒情詩画人」と呼ばれた大正浪漫の代表者である。

1934年(昭和9年)9月1日に死去。50歳を迎える直前であった。

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