あなたとアートをつなぐ、名古屋の画廊 松徳

斉藤真一(さいとうしんいち)

大正11(1922)76日、岡山県児島郡味野町(現、倉敷市児島味野)に生まれる。中学生の時に地元の大原美術館を見て画業に志す。独学で油絵を描くうち、同16年ころ岸田劉生の『美の本體』を読んで心酔。岡山師範学校二部を昭和17年に卒業し、同年東京美術学校師範科に入学する。翌年12月学徒出陣で入隊し、終戦後復学して同23年春に東京美術学校を卒業する。同年静岡市立第一中学校に赴任し、同年の第4回日展に「鶏小屋」で初入選。翌年岡山県味野中学校へ転任。同25年第38回光風会展に「閑窓」で初入選。同28年静岡県立伊東高校へ転任する。同34年外務省斡旋留学生としてパリへ留学。アカデミー・グラン・ショーミエールに学び、また藤田嗣治と出会う。スペイン、ドイツ、ベルギ一、イタリア等をめぐり、ジプシ一等流浪する芸人たちに興味を抱く。同35年に帰国。帰国にあたり藤田嗣治が与えた助言に従って翌36年青森県津軽地方を旅するうち、瞽女を知り、越後、信濃路のご女宿を訪ね歩いて瞽女シリーズを描く。同4510年間制作し続けた作品を「越後瞽女日記展」として文芸春秋画廊で発表し、独自の主題、画風で注目される。同46年第14回安井賞展に「星になった瞽女≪みさお瞽女の悲しみ≫」を出品して安井賞佳作賞受賞。同48年著書『瞽女―盲目の旅芸人』で、日本エッセイストクラブ賞を受賞する。同50年代からは自らを道化師に重ね合わせ、現代の孤独を描くシリーズ、画家の養祖母内田久野をモデルとし、明治期の吉原に取材したシリーズなどを描き、また、画文集『明治吉原細見記』『絵草紙吉原炎上』などを刊行。初期には西洋の伝統的な空間表現、陰影法を用いて静物画、人物画等を描いたが、渡欧により風景の中にデフォルメした人物が散在する主想的な画風に変化し、瞽女シリーズでは遠近法、陰影法を無視し、人物像にも大胆なデフォルメを加えた感傷的な画風を示した。平成5(1993)年長年の支持者であった仲野清次郎によって山形県天童市に財団法人出羽美術館分館・斎藤真一心の美術館が開館している。平成6年(1994年)逝去。

上記以外の主な代表作品:『陽の村 越後瞽女冬の旅』『春野の歌』『海昏る』『イタリヤの楽師』

 

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